【アナタの知らない卓球の世界】中国卓球界英雄の妻は日本人!荘則棟を陰から支えた佐々木敦子さんとは?


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【アナタの知らない卓球の世界】中国卓球界英雄の妻は日本人!荘則棟を陰から支えた佐々木敦子さんとは?

皆様は中国卓球界の英雄と呼ばれた荘則棟(そうそくとう)さんをご存じでしょうか?

彼は、1949年に建国された新生中国が待ち焦がれたスーパーヒーローとして、世界選手権3連覇など多くの結果を手にしてきました。
1971年世界選手権名古屋大会では、アメリカの選手との交流をきっかけに、米中の国交樹立に大きく貢献したとされる「ピンポン外交」の立役者として活躍。その後、彼自身スポーツ大臣に登りつめるまでの成功を収めていきます。

しかし、文化大革命の終焉によって「四人組」の追随者とみなされ、全ての役職を解任されたうえ、4年間投獄されるなどの不遇な時代も送っています。

彼の生涯には、光と影が混在しています。

その荘さんの半生に添い遂げたのが、日本人女性の佐々木敦子さんです。
今回は中国卓球界の英雄を支え、そして日本と中国の架け橋となった佐々木敦子さんを紹介します。


中国の英雄との出会い
佐々木敦子さんは、日本と中国が激戦を繰り広げていた、日中戦争中に旧満州で誕生しました。
終戦後、獣医だった父親の影響で中国大陸に残り、「新中国」の建国に協力していきます。
その後、父親が過労のために死去したことで、22歳ではじめて日本で暮らし始めます。
しかし彼女は長い期間中国で生活をしていたために、日本での生活になじむことが出来ず、心は中国を求めていたそうです。

そんな時に、名古屋で荘さんと出会ったのです。

荘さんからは「日中友好に貢献を」と言葉を掛けられ、佐々木さんも日中国交の正常化のために、商社の中国駐在員の道を歩み始めます。そして、日中の架け橋となるべく、奮闘の日々を送っていきます。


揺さぶられる思い
その後、荘さんとの再会は、14年もの歳月が流れた後になります。

当時の荘さんはスポーツ大臣の役職を担うまでになっていましたが、中国国内は指導者の毛沢東の死によって環境が一変していきます。
それまで権力を握っていた「四人組」の協力者とみなされ、4年間監禁され、その後、地方へと追放されていたのです。

佐々木さんはそんな荘さんの境遇を知り、北京で再会し、いつしか2人は恋に落ちました。

しかし、当時の中国は2人の結婚を認めませんでした。

当時は中国国籍以外の相手と結婚することは容易ではなく、特に中国では英雄と称される人物の結婚とあって、簡単に話が進みません。
結婚は1年後に許可されましたが、佐々木さんには過酷な条件が課せられました。

それは日本国籍の放棄でした。

しかも許可が出るまで、中国はビザを発給せず、佐々木さんは日本に強制的に帰国、愛する人のもとから離されてしまいます。

非常に辛い時期を過ごした佐々木さんですが、ついにお互いの愛が実り、1985年に中国籍を取得、同年12月19日に荘さんとの婚姻が成立しました。
結婚後、20年以上幸せな日々が続き、彼が2013年に亡くなるまで、彼のそばで中国卓球界の発展に寄与し続けたといわれます。


最後に
荘則棟さん没後10年の今なお、文化大革命の傷が残り、「弾圧の協力者」として彼の名誉は回復されていません。彼の葬儀に対し、中国当局は非公開とするよう通告したともいわれています。

ただ、佐々木敦子さん、荘則棟さんご夫婦が、日中関係改善への努力を惜しまなかった影響もあって、ハオ シュアイ選手や、ジョ シンコウ選手など、いま多くの一流中国籍の選手のプレーを、Tリーグで体感することができています。

荘則棟さんの座右の銘である

小球推動大球(小さなボールが大きなボールを動かす。)

この信念にならって、我々も彼の功績を次代に受け継いでいきたいものです。

(文・富永陽介)

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