【アナタの知らない卓球の世界】いつの間に消えた? ペンホルダー衰退の理由とその歴史を解説
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今では考えにくい話ですが、かつては日本だけでなく世界でも、「ペンホルダー」が主流として使用されていました。
しかし近年では、ペンホルダーの使用者は激減し、プロだけでなくアマチュアの多くの選手がシェークのラケットを使用しています。
今回はこうしたラケットの変化が、いつ頃、なぜ起こったのか、卓球の歴史から見るペンホルダーが衰退していったその経緯についてご紹介していきます。
なぜペンが衰退したのか?
前述した通り卓球の歴史において、ペンホルダーは長らく主流の一つでした。
特に日本では、1923年に鈴木貞雄氏がペンホルダーを使用して全日本選手権で優勝し、その後、ペンホルダーを使う日本の選手たちが攻撃的なプレースタイルで活躍、1950年代には日本卓球が黄金時代を迎えます。
その後、1960年代になると猛追する中国選手によってペンホルダーは戦術の幅を広げ、広まりは世界中に拡大、多くの選手が利用するまさしく主流のラケットとして君臨するようになります。
しかしその黄金期も、1970年代に活躍したヨーロッパ選手によって変化の時を迎えます。
元々ペンホルダーの攻撃的なプレースタイルに比べて、シェークは守備的な戦術を中心としたものとして考えられていました。
しかも当時はボールも小さく、スピードも回転数も今よりも出やすいボールを使用していたため、守備的なシェークだとどうしても遅れを取ることが多く、シェークは不利と考えている人も少なくありませんでした。
その意識を大きく変えたのが、1971年世界チャンピオンのステラン・ベンクソン選手です。
彼は、画期的なシェークによる攻撃的プレースタイルで、多くの勝利をもぎ取っていきます。
そのスタイルがヨーロッパで流行し、以後しばらくヨーロッパのシェークハンド攻撃卓球と、中国&日本のペンホルダー攻撃卓球が拮抗する時代が続きます。
しかし1980年頃より、その風向きがシェークハンドに次第に傾いていきます。
特に決定的となったのが、「ボールの大きさの変更」と「チキータの誕生」による、強打の意識が変わった点があげられるでしょう。
これらの変更は、卓球をよりエキサイティングなラリー合戦と台上の戦いに変化させていく一方で、ペンの弱点を露見する結果にもつながっていきました。
次第に、中国も日本もシェークハンドを取り入れ、世界の主流となり、多くの選手がシェークのラケットを使用するようになります。現在ではシェーク比率は9割以上ともいわれ、ペンが衰退した格好となっています。
進化型ペンホルダー
今まさに消えかけているペンですが、ペンホルダーのプレーヤーも進化を遂げ、有望な選手が出始めています。
その代表的な選手が松下大星選手です。
彼はバックハンドでも強打を打てる進化型ペンホルダーを操り、シェークハンドに対抗しています。
彼のような選手がペンホルダーのプレースタイルを維持し、進化させていくことでしょう。そして、ペンホルダーの伝統を継承し続けていくのではないでしょうか。
まとめ
ペンホルダーからシェークハンドへの移行は、卓球の歴史や選手のプレースタイルの変化によってもたらされ現在もペンは衰退期にあります。
しかし、ペンの火を消さないように、進化型のペンホルダーなどの新たな技術や戦術の導入により、ペンホルダーの伝統は受け継がれようとしています。
松下選手らの活躍はまさしく、シェークハンド、ひいては卓球の歴史への挑戦と言い換えられるのかもしれません。
(文・富永陽介)