【アナタの知らない卓球の世界】東京オリンピック選考外から銅メダルへ! 早田ひな選手が覚醒した理由とは?
スポニティ
0
0
79
先日行われたパリ五輪に出場した卓球日本代表。
その中でも、特に早田ひな選手の活躍はすさまじく、シングルス代表の選手としては歴代3人目のメダル獲得という快挙を達成しました。
今大会の彼女はまさに日本のエース、彼女がいなければ団体戦ではメダルを取れなかったと思えるほど大車輪の活躍でした。
そんな彼女ですが、前大会の東京五輪では同世代の伊藤美誠選手、平野美宇選手の後塵を拝し、団体メンバーにさえ選ばれていませんでした。
当時の期待値でいえば、”みうみま”コンビが上をいっていました。
劇的に状況が変わったこの2年。なぜ、彼女は覚醒して同世代を抜き去り、結果を得ることができたのか?
今回は彼女の歩みについて、振り返っていきます。
落選を乗り越えるメンタルの強さ
結論から言えば、彼女の分岐点は東京オリンピック落選が大きくかかわっています。
当時の彼女は、ダブルスでは結果を残すことが多かったものの、シングルスでは前述の”みうみま”コンビが大きく立ちはだかり思うような成果を上げられませんでした。
ただ彼女の強さはここから発揮されるようになっていきます。
代表から落選したことを知ったとき、「限界を作らないようにしよう」と思い即座に行動に移したのです。
小学生時代から早田選手を指導していた石田コーチにもその思いは伝わり、その後、20年1月の全日本選手権女子シングルス優勝という結果となって実を結びます。
石田コーチの献身性とユニークな指導
また石田コーチの指導も早田選手の能力を覚醒させた要因のひとつとして考えられます。
彼は、田添健汰選手や小塩遥菜選手を始め多くの有力選手を輩出する、石田卓球クラブの三男で家族と共にこれまで多くの選手の指導を行ってきました。
彼の指導は、対話を重視し、決して枠にはめない、というものでした。
早田選手の長所のひとつに、長い手足から繰り出されるフォアハンドドライブが挙げられます。しかし、前回大会ではその強打に頼りすぎるあまり、攻撃が単調になることもあったといいます。
しかし、石田コーチは小さくまとまらないよう、あえて長所に対して注文をつけるようなことは行いませんでした。
しかも彼は指導だけでなく、食事のサポートやけがをしたときの送迎など、公私両面から彼女を支えています。
そのことは彼女自身も理解しており、石田コーチを「この10年間は、家族と過ごすよりも長い時間一緒にいた。父のような、母のような存在」と表現しています。
まとめ
今大会、ハッキリ言えば早田選手は体調が万全ではなかったと思います。
それは大会後、日本で行ったインタビュー会見での彼女の左腕が物語っています。しかしそんな状況下でも、彼女は銅メダル獲得という結果を残しました。
その背景には、全大会の悔しさ、そして石田コーチを始めとする「チームひな」があったからこそだと思います。早田選手が勝利を決めたあと、石田コーチのもとに駆け寄り、抱き合って喜びを分かち合う姿がありました。それは、スポーツの素晴らしさ、そして卓球が持つ儚さ、美しさといったものが詰まったシーンだったように思います。そんな感動をくれた、早田選手の姿をぜひTリーグの会場で見たいと思うのは私だけではないはずです。
(文・富永陽介)